日本歯科大学新潟生命歯学部 医の博物館

展示品ギャラリー

「医の博物館」館内(続) ステンドグラスに映える薬看板

「医の博物館」館内(続) ステンドグラスに映える薬看板

右上ステンドグラスの上に架かる薬看板は、伝統薬「起死回生薬・宝丹」。

現在の守田治兵衛商店は江戸時代の初めに上野池之端に創業し、明治初年、九代目治兵衛のときに「宝丹」を発売した。
現在も市販されており、看板の独特な書体は「宝丹流」と呼ばれた。

向かって左に「外科薬の良剤・沃土ホロム散」「陸海軍御用品・登録商標カチドキ・一名凱旋歯みがき」「宝丹はみがき」「官許開達丸」「健胃強壮胃散」の紙看板と「男女入歯細工所」の看板が並ぶ。

「健胃強壮胃散」は、明治新政府の官を辞し、明治12年に製薬会社を興した太田信義(元・壬生藩医)の創製によるもので、現在は「太田胃散」の名称で知られる。

また「男女入歯細工所」の看板には、右横に「口中一切療治所」と記されている。「男女入歯」とは、男性用の白い人工歯の義歯、女性用のお歯黒義歯を調製する意で、「入歯歯抜口中療治」営業者が治療所に掲げた看板である。
明治39年(1906)に旧歯科医師法が施行されるまでは、歯科医師だけでなく、いわゆる鑑札営業者も抜歯や義歯の製作と装着、処置に携わっていた。