日本歯科大学新潟生命歯学部 医の博物館

展示品ギャラリー

山脇東洋:蔵志

山脇東洋:蔵志

京都の漢方医家・山脇東洋らは宝暦4年(1754)、解剖(腑分け)に立ち会うことを日本で初めて許可され、5年後の1759年に『蔵志』を刊行した。

この書は乾坤2巻からなり、「胸腹を剥ぐの図」「九臓前面の図」「九臓背面の図」「脊骨側面の図」「心の背面図」の5図4葉が掲載されている。
図は門人の浅沼佐盈が描き木版で印刷後に着色した(手彩色)。
乾の巻の本文では解剖の実見記録とともに、知人の医家たちとの往復書簡を載せ、坤の巻では著者・東洋の医説を述べている。

附録「夢覚を祭る文並びに序」では、38歳で斬首刑に処せられた屈嘉の遺体によって、それまで不明だった人間の体の内部が明らかになったこと、「夢覚信士」という戒名をつけて手厚く葬ったこと、「名節は泰山より重く、青史は百世に鳴る...、骨は朽ちても、その功績は永遠に残る」という弔辞を掲げた。