展示品ギャラリー
豊原国周(とよはら・くにちか):東京三十六会席 柳橋しち 大代地 巴屋
東京の柳橋は神田川が隅田川に注ぐ手前にある橋で、江戸時代中期から花街として栄えた。
柳橋芸者は唄や踊りなどの芸事で立つことを誇りとし、プライドが高かったと言われ、成島柳北の「柳橋新誌」には、明治初年の当時の様子が描かれている。
豊原国周(1835-1900)は豊原周信と三代目歌川豊国(国貞)の弟子で、二人の名前の一字づつをとって、「国周」と号した。
大胆な色と筆使いで、役者絵をはじめ美人画を得意とし、「明治の写楽」と評判になった。
「東京三十六会席」シリーズは、日本橋の萬屋孫兵衛が版元となった明治3年の連作で、中央に芸妓の半身、左上のコマ絵に評判の料亭を描く。
バックには鮮やかな赤地に麻の葉の模様をあしらっている。