展示品ギャラリー
本道外画難病療治
落合芳幾:本道外画難病療治(ほんどう・げが・なんびょうりょうじ)
歌川国芳の弟子、落合芳幾による明治23年(1890)の作品。40年前の嘉永3年(1850)に師国芳の「きたいな名医難病療治」が板行されたが、芳幾の「本道外画...」は、「やぶくすし娘名医こがらし」の弟子から治療を受ける患者はすべて女性で、構図も「きたいな名医...」の逆版になっている。弟子たちの頭はザンギリとなり、「官員」風に髭を生やしている。
月岡芳年の兄弟子で、芳年と人気を幕末から明治初期には二分した芳幾は、東京日日新聞の新聞錦絵で人気を博した。新聞に掲載された記事を題材として明治7年から売り出された新聞錦絵を芳幾は100種類以上描いている。しかし「平仮名絵入り新聞」を創刊して新聞事業に専念するようになり、明治10年以降は浮世絵師としての作品をほとんど残していない。