日本歯科大学新潟生命歯学部 医の博物館

展示品ギャラリー

きたいな名医難病療治

きたいな名医難病療治

武者絵を得意とした幕末の浮世絵師・歌川国芳の三枚続きの風刺画で、嘉永3年(1850)に売り出された。

画面中央の「やぶくすし竹斎娘・名医こがらし」が弟子たちを使って不可思議な治療をしている。
髪の中に鉄粉を入れて後ろから磁石をあててやるとロクロク首が縮む。
人面瘡には米屋の証文を見せると、驚いて引っ込んでしまう。そして下には歯を抜いているところと入歯が描かれ、「歯の痛むというものは中々難儀なものでござる、これは残らず抜いてしまって、上下とも総入歯にすれば、一生歯の痛む憂いはござらぬて」「これはなるほどよいお療治でございます」と、弟子と患者のセリフが書かれている。

この浮世絵に描かれた「名医こがらし」は当時の大奥で権勢を振るった姉小路局がモデルと言われ、江戸時代の滑稽譚「竹斎物語」も下敷きにしている。
弟子たちの羽織の紋が、それぞれ幕府の若年寄や奉行たちの家紋と対応する、幕閣の為政者たちを揶揄(やゆ)していると江戸市民たちの人気を博し、たちまち発禁処分となった。
しかし版元では発禁を見越して、大量に増刷するとともに多くの異版が作られたという。