展示品ギャラリー
19世紀の骨相像(イギリス、1870年)
18世紀末にウィーンで開業していたドイツ人医師のガルは、大脳を包む頭蓋骨の形によって脳の部位の発達状況や心的機能の働きを知ることができると考えた。
頭蓋骨の形から人の性格や特性などを推定することは古くから行われているが、ガルの着想をシュプルツハイムは「phrenology=骨相学」と名づけ、二人は協力して研究を進めた。
頭の形の観察や計測によって、人の特性が判断できるということで、骨相学は有識者の支持を得て、欧米各国に学会がつくられ専門誌も発行された。
頭蓋骨の収集と脳の計量が流行し、骨相図が氾濫したという。
19世紀前半の欧米で大いに流行した骨相学は、その後の大脳機能局在説の先駆けになったとも言われるが、科学的な根拠が希薄だったため、やがて消滅した。
日本に紹介されるのは、明治9年(1876)に発刊された文部省『百科全書』の「骨相学」が最初だろう。
同書の原本はイギリスのチェンバーズ兄弟の"Information for the People"第4版(1857年版)で、「骨相学」篇の訳者は東京湯島の医学校・済生学舎校長である長谷川泰、校閲は「米百俵」で名高い小林虎三郎(病翁)で、ともに越後長岡藩ゆかりの人たちである。